宇宙はなぜ美しいのか(村山 斉)
このページについて
この文章は、プラットフォーム「Cosense」の一角をお借りして展開している、プロジェクト進行についての論考集「プロジェクト工学フォーラム」内の連載企画、「価値創造の思考武器」のコンテンツです。
価値とはなにか、価値を生み出すためには、いかなる思考が求められるか、ということを、本の紹介を通じて、解説しています。
今回の一冊:「宇宙はなぜ美しいのか」
https://gyazo.com/6126adf414766d6b0d74f80bc7133317
光子によって伝わる電磁気力は、届く距離に限界がありません。たとえば方位磁石が北を指すのは、北極から私たちの手元まで電磁気力が届くからです。しかし弱い力は、わずか0.0000000001ナノメートルしか届きません。ちなみに1ナノメートルは髪の毛の太さの1万分の1程度、原子10個分です。(引用者注:原子の直径は約 0.1nm)弱い力は、それよりはるかに短い距離でしか作用しません。原子核レベルのミクロの世界で陽子と中性子を入れ替える反応を起こすにはそれで十分なのですが、無限に届く電磁気力とは性質が違いすぎます。
第4章 対称性が破れた宇宙空間の根源には何がある? より
この本のあらまし
本書によると、宇宙が生まれたその瞬間、宇宙空間は原子たったひとつ分より小さく、いま現在、我々が暮らすこの大宇宙に含まれるあらゆる物質やエネルギーは、そこに収まっていたそうである。そこから約138億年の時がたったいま現在、我々が暮らす銀河系は約直径10万光年。最寄りの銀河であるアンドロメダ銀河までの距離との間には、およそ250万光年くらいの距離がある。銀河と銀河が衝突することは、ままあるらしいが、天の川とアンドロメダは、少なくとも今後40億年のうちには、衝突する心配はないらしい。
もし太陽がいまより20倍大きかったとしたら、いつかどこかで超新星爆発したあと、ブラックホールになってしまうそうだが、ブラックホールになる質量の20分の1だったから、その心配はない。もっとも、超新星爆発するまえに大きく大きく膨張してしまうから、ブラックホールにならなかったとしても、地球は飲み込まれてしまって、跡形もなくなってしまうそうだ。本書の著者は、人類の生存と地球外進出については楽観的に見ているようで、きっとそれまでの間に、人類は、別の星に旅立ってしまうのではないか、という見解を書き記している。
数字を示されると、なるほどそうかと納得してしまいそうになるが、いざ、具体的に映像で想像してみようとする、いくら想像しても想像しきれなくて、イメージを試みているうちに、笑ってしまいそうになる。
さて、本書は、以上のような、非現実的な話をマクラに、宇宙の成り立ちや誕生の秘密に対して、2020年現在の物理学者が考えている内容を、大変にコンパクトに整理してくれている、とても実用的な一冊である。
太陽や地球などの、星や元素の成り立ち
ガリレオ、ケプラー、ニュートン、アインシュタインらの足跡
周期表、原子構造、17種類の素粒子
4つの力、 重力波、ブラックホール
暗黒物質、暗黒エネルギー
このあたりのキーワードに対して解説をしてくれる書籍や映像は、(あくまで文学的なレトリックとして)星の数ほどあるが、そのなかでも、まとめ方の「ちょうどよさ」が素晴らしい。ちょうどよい、というのもあいまいな表現だが、その心は、全体的なボリュームや解説の粒度のちょうどよいのである。どこがちょうどよいのかというと、高校物理を通過した人で、大人になって、そういえばとふと手に取ったときに、全体をパラパラと眺めていくと、なんとなくわかった気になれるようなもの。全体と部分のバランスが取れていて、導入と結論がしっかりしている。決定版のようでもあり、入門書でもある。アカデミックさとエンタメ感のバランスが取れている。
世の中に、様々な現代科学解説書があまたあるなかで、こうしたまとめかたは、どこかにありそうなものである。が、探してみると、意外と、どこにもない。
「なんとなくわかった気になれる」ということでいいのか、本当にわからないでも平気なのか、と、言われるかもしれない。まぁ、いいはずはないが、こと宇宙物理については、それでいいと、あえて断言したい。本書を読めばわかるが、別に物理学者だって、本当のことなど、わかっちゃいないのだ。
本書の著者のような世界的に活躍している一線の学者でさえも、ひとりの天才学者(例えば南部陽一郎博士の)生み出した理論を理解するまでに、何十年もかかったという。そういう話を聞くと、遥か彼方の光が何百年、何千年もかかって地球に届くことと似ているなぁと思う。
「わからない」のに「正しいに違いない」と思える理論がある。
「正しいはず」なのに「こんなはずはない」としか思えない、実験結果もある。
本書の基盤にあるのは(つまり物理学者達が、彼ら彼女らの仕事をする動機とは)「わかりたい」という飽くなき欲求と、「わかった姿と、かくあるべしと思う理想の姿が、イコールであってほしい」という飽くなき欲望である。最終的な問いは「なぜ、いかにして、わたし(たち)は存在しているのか、我々は孤独なのか」ということである。宇宙物理学とは、それを、光学的に立証しようという試みである。直観により理論を構想し、それを検証し、矛盾を見つけ出し、修正する。本書は、連綿たるその営為のバケツリレーの賜物である。
宇宙物理学がいいなと思うのは、写真がとても美しいことだ。見た瞬間、もう、美しい。うっとりする。この、物体の、画像の説得力には、勝てない。本書の有り難いところは、画像だけでなく、動画についても水先案内してくれるところである。
木星の第九彗星が、木星に衝突した様子
https://www.youtube.com/watch?v=gbsqWozEBBw
ブラックホールが合体したときの「音」
月面でハンマーと鳥の羽を落として落下速度を比較する実験
https://www.youtube.com/watch?v=oYEgdZ3iEKA
天の川銀河とアンドロメダ銀河が衝突する様子のシミュレーション
https://www.youtube.com/watch?v=fMNlt2FnHDg
価値創造のために、この本から得たいこと
今日はちょっといつもと違うスパイスを使ってみたいなというカレーであっても、請負仕事でなにかしらの制作物を作る場合でも、明日の社会を一変させるようなテクノロジースタートアップであっても、それが新価値である以上は、その生産主体者は、価値創造者である。そして、われこそは価値創造者たらんと志す人間が、まずもって身に付けなければならないのは、宇宙観である。
なぜか。我々は、なにかしらの(不変の)法則の導く環境のなかで、生きていることは確かだからだ。超高度に発達した現代物理とはいえ、この世の全てを解明するには至っていないが、それでもやはり、人類がここ数百年をかけて見つけ出してきた成果を紐解くと、どうもやはり、この宇宙には、不変の法則があるらしい。それはお釈迦様が「法(ダルマ)」と呼んだものと、おそらくは、完全にイコールなのである。
もし、我々が価値創造者であるとするならば、それは環境との相互作用に関わらないわけがない。環境への理解がおぼつかないようだと、生み出そうしている価値が、価値にならない。それは、考えるまでもないことである。
ちなみに、本書だって、ここに引用した映像だって、それを配信するプラットフォームだって、この文章だって、我々が日常において眼にするあらゆる人工物は、だれかが創造した価値の賜物である。そのことをイメージしていくと、価値創造とは、特定の個人の営為というよりは、集合無意識に導かれた、多くの主体者の共同作業なのだろうという気がする。
こういうことを思う時、例えば、いつの日だったか、家族で川に遊びに行ったときのことを連想する。水の流れは冷たくて、鳥の鳴き声は美しく、まさに世界が輝いていて、そこに集う人間たちは、なにかに祝福されているように感じたのだった。そこで思ったのは、自分という存在がいなければ、あるいは人類が進化しなければ、その祝福は、どんな存在にも、感じられることはなかったのだろうか、ということである。感覚器官の仕組みからすると、蟻はその美しさを、感じることはなさそうに見える。しかし、いち個体レベルではそうかもしれないが、蟻の集合無意識は、同じように、この世を美しく感じているのかもしれない。人間も、等身大の感覚器官では、宇宙の美しさに気付くことはできないが、一人ひとりの物理学者の集合無意識のおかげで、こうして美しい写真を眺めることができる。
この文章の著者について